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城陽市

あしあと

    所蔵資料紹介「引札」

    • ID:11609

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    はじめに

    引札(ひきふだ)とは、江戸時代後期から大正時代にかけて商店などの宣伝のために作成・配布されたチラシです。明治時代に機械印刷の技術が発達し、安価に大量のチラシを印刷できるようになったことで飛躍的に流通量が増大しました。正月に今年一年のお引き立てを願って配られることが多く、正月らしいおめでたい図柄が多く使われました。また、家の中にいつも貼って見てもらえるように、鉄道の時刻表や暦とともに商店名、取り扱い商品などを印刷した引札も多く作られました。ここでは、資料館所蔵資料の明治後期の引札をいくつかご紹介します。当時城陽市域からどこまでが商いの範囲だったのかが引札からうかがえます。

    引札

    ①文机と女性

    文机と女性

    和洋の砂糖菓子に加えて乾物、紙、ろうそくと、取り扱う商品が多岐に渡っています。綴喜郡都々木村は明治22年(1889)町村制の施行によって発足した村で、現在の八幡市の南東部にあたります。上津屋村の一部を含み、城陽市域の村からは木津川をはさんで隣になります。

    ②朝日に鶴と松

    朝日に鶴と松

    和洋の砂糖菓子に加えて乾物、紙、ろうそくと、取り扱う商品が多岐に渡っています。綴喜郡都々木村は明治22年(1889)町村制の施行によって発足した村で、現在の八幡市の南東部にあたります。上津屋村の一部を含み、城陽市域の村からは木津川をはさんで隣になります。

    ③恵比寿と大黒

    恵比寿と大黒

    山城佐山は現在の久御山町佐山にあたります。大勉強とは商品を安く値引きして売ります、という意味です。

    ④汽船

    汽船

    様々な石や石碑を扱っているお店です。久世郡大久保は、久津川村の北隣の村になります。白川石は、京都市北白川付近に分布する白色で緻密な石で広く利用されました。宇治石は宇治市で産出される硬質な輝緑岩で、茶臼に使う最上の石とされています。

    ⑤大黒天と扇面

    大黒天と扇面

    呉服、太物、反物などを扱うお店です。絹の着物を呉服と呼ぶのに対して、木綿、麻、ウールなどの天然繊維の糸の太い織物を太物と呼びました。

    ⑥明治三十一年略暦

    明治三十一年略暦

    家の中の目につく所にずっと貼っておいてもらえるように、暦も引札によく使われました。三島郡大字古曽部は現在の高槻市古曽部にあたります。

    ⑦開店祝酒樽

    開店祝酒樽

    尼ヶ崎の酒類販売店の引札で、「銘酒駄売広告」としてお店と扱うお酒の宣伝文を書いています。商売内容がすぐにわかる酒樽の図柄を用いています。

    ⑧明治二十九年奈良電鉄 京都発車早見表

    明治二十九年奈良電鉄 京都発車早見表

    伏見両替町の薬屋の引札です。暦と同様に、鉄道の時刻表も引札によく使われました。これは奈良電鉄(現在のJR奈良線)の京都駅発車の時刻表です。

    ⑨衣桁に打掛

    衣桁に打掛

    衣桁に華やかな打掛が掛けられた図に、背景にも糸巻きや反物が色とりどりにちりばめられています。呉服、太物の次に書かれている御祝儀小袖とは、結納の際に男性から女性に贈られる結納金のことで、結婚の支度金として「小袖料」と表書きした祝儀袋に入れて贈ります。