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城陽市

あしあと

    五里ごり館クイズ2

    • ID:6763

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    城陽市のことどれだけ知ってるかな?クイズに答えながら楽しく学びましょう!

    地名編

    地名は地形に由来する自然地名や、民俗や歴史的な色彩をもつ歴史地名などがあります。

    (1)城陽市には「上津屋」という地区があります。何と読むでしょうか?

    1. うえつや
    2. じょうつや
    3. こうづや
    4. こうずや

    (2)中地区に「百度」という地名があります。何と読むのでしょうか?

    1. ひゃくど
    2. ひゃくたび
    3. とどろき
    4. どど

    (3)城陽市には奈島地区に唯一のカタカナの地名があります。何という地名でしょうか?

    1. アタマ
    2. フケ
    3. ヘソ
    4. ゴマ

    (4)平川地区と水主地区にある同じ地名は何というでしょうか?

    1. 塚ノ木
    2. 茶屋裏
    3. 北垣内
    4. 大将軍 

    (5)寺田地区の「正道」は、江戸時代には何と表記されていたでしょうか?

    1. 小戸
    2. 焼堂
    3. 唱渡
    4. 庄土

    行政区画編

     現在の城陽市域が確定する過程を明治以降についてたどっていきます。知っているようで知らない行政区画の変遷の問題です。さあ、チャレンジしましょう!

    (1)江戸時代に城陽市域には11村1町がありました。このうち1町とはどの地区をさすのでしょうか?

    1. 長池町
    2. 中町
    3. 寺田町
    4. 久世町

    (2)富野村と長池町が合併して富野村になるのは、何年でしょうか?

    1. 1874(明治7年)
    2. 1875(明治8年)
    3. 1876(明治9年)
    4. 1877(明治10年)

    (3)1889年(明治22年)に3村が合併して「久津川村」が成立します。平川村と久世村ともう1村は何でしょうか?

    1. 枇杷庄村
    2. 観音堂村
    3. 市辺村
    4. 上津屋村

    (4)1889年(明治22年)に寺田村と水主村の2ヵ村の合併で成立した村は何でしょうか?

    1. 水主・寺田村
    2. 寺田・水主村
    3. 寺田村
    4. 水主村

    (5) 1889年(明治22年)に3ヵ村が合併し、「富野荘村」が成立します。富野村と観音堂村、もう1つの村は次のうちどれでしょうか?

    1. 奈島村
    2. 枇杷庄村
    3. 中村
    4. 市辺村

    (6)1889年(明治22年)に奈島村・市辺村・中村の3ヵ村が合併して何という村が誕生したのでしょうか?

    1. 青谷村
    2. 奈島村
    3. 市辺村
    4. 中村

    (7)久津川村・寺田村・富野荘村・青谷村の4ヵ村が合併して「城陽町」となるのは何年でしょうか?

    1. 1951年(昭和26年)
    2. 1952年(昭和27年)
    3. 1953年(昭和28年)
    4. 1954年(昭和29年)

    (8)城陽町から「城陽市」となるのは何年でしょうか?

    1. 1970年(昭和45年)
    2. 1971年(昭和46年)
    3. 1972年(昭和47年)
    4. 1973年(昭和48年)

    解答編

    地名編

    (1)答え:3
    解説:上津屋は城陽市だけでなく、八幡市側にもあります。1889年(明治22年)までは、木津川を挟んで両地区は「上津屋村」でした。上津屋の「上」は下流の久御山町下津屋に対応するもので、「津屋」は一般に古代・中世に荘園の年貢や物資などを舟で運ぶ集積場だったところからついた地名とされています。

    (2)答え:4
    解説:ドウドウと、とどろく水音からつけられた地名であるとされています。

    (3)答え:2
    解説:奈島地区に「フケ」という地名があります。フケは低湿地や深田を示す地名で、全国各地にその例があります。

    (4)答え:4
    解説:大将軍という地名は、城陽市のほかにも近隣では京田辺市、木津川市などにもあります。大将軍は、陰陽道による暦の方角に関する八将神(軍)の1神です。

    (5)答え:4
    解説:「正道」という表記に統一されたのは、明治になってからです。江戸時代には「正堂」・「正土」・「正戸」とも表記されていました。

    行政区画編

    (1)答え:1
    解説:長池町です。大和街道沿いに宿場町が形成されていたので、町名を名乗り、旅人の休憩や宿泊の場として賑わいました。

    (2)答え:3
    解説:1876(明治9年)、富野村と長池町が合併して「富野村」の名称が残りました。

    (3) 答え:4
    解説:久津川村は平川村の「川」、久世村の「久」、上津屋村の「津」の1字ずつを取り入れて、「久津川村」が成立しました。

    (4)答え:3
    解説:寺田村と水主村の規模から「寺田村」に決まったようです。

    (5)答え:2
    解説:富野村・枇杷庄村・観音堂村の3ヵ村が合併し、「富野荘村」が成立します。 

    (6)答え:1
    解説:「青谷村」の青谷は、旧村名とは無関係です。地区内を流れる青谷川にちなんでつけられました。

    (7)答え:1
    解説:1889年(明治22年)に、久津川村・寺田村・富野荘村・青谷村が成立しました。1951年(昭和26年)に4ヵ村が合併して「城陽町」となりました。 

    (8)答え:3
    解説:人口の急増にともない1972年(昭和47年)に市制を施行しました。