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城陽市

あしあと

    所蔵資料紹介「マッチレッテル」

    • ID:6413

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    はじめに

     令和2年(2020年)7月、龍福寺(中)の住職であった故苗村氏が生前蒐集されていたマッチのレッテル(ラベル)のコレクションが資料館に寄贈されました。明治から昭和40年代までのものが多く、京都市内・宇治・城陽のものだけでなく、全国各地の様々なレッテルが貼られた画用紙が約380枚と2冊のアルバムがあり、レッテルの総枚数は約3万2千点にのぼります。
     その中には、日本で最初期に作られたレッテルから城陽町にあったお店のものも含まれており、資料館の常設展示室で随時展示をおこなっています。今回のデジタル資料館では、明治時代にデザインされたレッテルから、動物をテーマにご紹介します。

    日本におけるマッチレッテルの歴史

     日本でのマッチの制作は明治12年(1879年)頃から始まりました。マッチの取引はすべてレッテル(商標)によっておこなわれ、製品の品質を表す重要な役割を果たしました。明治30年代になると、マッチは海外へも大量に輸出されるようになり、生産量が年間数十億から90億個にものぼりました。
     マッチが日常に使われるようになると、安価で粗悪なマッチやレッテルも作られるようになり、市場は混乱しました。これを防ぐため、明治17年(1884年)に「商標条例」が公布されると、マッチ会社はそれぞれのレッテルの意匠を商標として登録しました。
     また、これらのデザイン性にすぐれたレッテルは燐票(りんぴょう)、マッチレッテル、マッチペーパーなどと呼ばれ、コレクター達による収集も盛んにおこなわれました。

    獅子・ライオン

    1

    「大日本兵庫港清燧社製造」

    2

    「神戸大同燐寸会社製造」

     上の「寝獅子」は明治18年(1885)6月20日、兵庫県にあった清燧社の瀧川辨三が登録したもので、日本で初めて商標登録されたレッテルです。清燧社は昭和2年(1927)に大同燐寸(マッチ)株式会社に合併されますが、その後も同じデザインで、会社名を書き換えて使用されました。

    3

    鹿

     マッチレッテルのモチーフには様々な動物が用いられていますが、その中でも特に多いのは獅子・鹿・猿・鳥・象などです。
     鹿は、音読みすると「ろく(禄=江戸時代の役人の給料)」とも読めるため、お金をもたらす象徴であったため、縁起のよいものとして手元に置くマッチのモチーフとして多く用いられたのでしょうか。

     直木燐寸製造所の直木政之介が明治22年(1889)に登録した「象ベスト」は、当時赤と黒で刷られたレッテルが多い中、黒地に白抜きのデザインが目を引き大評判となりました。そのため模倣したレッテルが26種も出回る事態となり、同24年(1891)に当時の農商務相陸奥宗光に類似商標の取り消しを陳情しています。

    「M.Naoki」とサインが入っている

     また、白い象は特に東南アジアで神聖視される動物であり、海外への輸出の際にもモチーフとして多く用いられました。前述の直木政之介は、明治29年(1896)に三井物産合名会社と提携して初めてシンガポールに直輸出するなど、日本のマッチ業者として海外輸出の道を切り開きました。
     その後も同40年(1907)に日本燐寸製造株式会社を設立し、中国・インド・東南アジア・アメリカなどの諸外国にマッチを輸出し、この年の輸出量67万トンの4分の1を占めるまでになりました。

    犬・猫

     古来から馴染みの深い犬や猫も、レッテルのモチーフとして登場しています。特に猫は「招き猫」としても描かれており、いずれも縁起のよいものが選ばれています。