菅原道真を祭神とする旧中村の産土神で、その創祀年代および由緒沿革はあきらかでない。境内には本殿、拝殿、社務所、廻廊などがある。府下に数点とないおかげ踊りの絵馬を発見、修復され展示されている。例祭は毎年10月16日に行われる。
天沢山と号する浄土宗黒谷金戒光明寺派の寺で、開基および創建年代はあきらかでないが寺伝によれば慶長12年(1607年)僧曇誉及果によって創建されたとつたえられる。もとは、今の地より西方にあって善光寺如来を本尊としていたが、延宝2年(1674年)現在の地に移った。
その後たびたびの火災の厄にあったが、今の建物は大正13年(1924年)の再建によるもので、本堂は本尊阿弥陀如来像を安置し、ほかに書院、庫裡などがある。
菅原道真を祭神とする。社格は村社であるが、その創祀年代および由緒沿革はあきらかでない。境内には本殿・拝殿・社務所があり、境内末社に祈雨神社がある。例祭は毎年10月16日に行われる。
洞谷山と号する浄土宗の寺で知恩院に属する。寺伝によれば、室町末期の天文13年(1544年)頃、縁誉称念上人が村民の帰依によって創建したと伝え、元禄6年(1693年)知恩院の末寺となり、明治7年(1874年)了性寺(真言宗)を吸収合併したと伝えられる。本堂には本尊阿弥陀三尊を安置し、ほかに庫裡や薬医門などがある。
粟直の氏神社。山麓を利用した社叢を有する。祭神は少彦名尊。明治10年延喜式内になる。古代は今の社より東へ5、6町の松尾の鎮座屋敷というところにあった。
社殿の創立は不明だが、延亭元年(1744年)改築の棟札がある。(青谷村誌)
粟神社記には孝安天皇の御代、平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊尊が降臨し少彦名尊が祀られたのが粟神社、高皇産霊尊が祀られたのが兜神社(旦椋神社)とある。
地域のボランティアのみなさんの協力によって平成23年2月に梅の郷青谷づくり活動として青谷八勝の1つである「堂山」に手作りの見晴台が完成した。木津川にかかる赤い山城大橋が見わたせる。
天山は、青谷地域の中央に位置する海抜104メートルの山。この地域の象徴とも言えるもので、「青谷絶賞」にある青谷八勝のひとつに挙げられ、青谷小学校の校歌にも歌われている。
平成26年1月に、観梅などにこられた方に散策していただけるよう散策道が設置され、山頂まで歩くことができる。
「青谿絶賞」は、明治33年発行の青谷梅林をこよなく愛する現精華町在住の山中青谿が画家対竹を伴って青谷梅林を散策した紀行文で、約100年後に京田辺市で発見され平成8年その口語訳が発行されたもの。対竹の筆による青谷八勝とともに描かれている。
一「播嶽光風」(播磨崎)
二「堂山淡靄」(堂山)
三「天嶺遠思」(天山)
四「石上浅流」(石神)
五「荘原高士」(荘平原)
六「逢谷美人」(大谷)
七「白阪香雲」(白坂)
八「碧淵皓月」(青池)
明治33年に青谷保勝会が青谷梅林のPRのために発行した「青谷絶賞」。これを機に青谷梅林は全国的にも有名な梅林として知られるようになった。
平成8年には有志の手で「注釈青谷絶賞」が発行されたが、そのとき、口語訳された小西亘氏がその後、10年を越える調査研究の成果をもとに書き下ろされた青谷の文学と青谷梅林の歴史の紹介書。
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