11 伊賀越えをする徳川家康
本能寺の変より、大阪から伊賀の険しい山道を越えて領地の三河へ急ぎ帰った徳川家康をモチーフにしています。
伊賀越え
本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた時に大阪に滞在していた徳川家康が、領地の三河に急ぎ帰る折に、明智光秀の軍との遭遇を回避するため、伊賀の険しい山道を越えたことをいいます。そのルートとして、城陽市の市辺を通って宇治田原に入ったという説があります。城陽市の奈島に道標があり、それによると東に進むと宇治田原に至ることが示されています。
(交通)JR奈良線山城青谷駅から南へ徒歩10分
アクセス