ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

城陽市

現在位置

あしあと

    帆かけ舟の一家

    • ID:6409

    SNSへのリンクは別ウィンドウで開きます

    帆かけ舟の一家(富野)

     木津川は今のような水量でなしに、右岸から左岸まで水がナムナムとあったんです。帆かけ舟がよう衝突しはってね、ルールはあったんでっしゃろ。のぼりはどっちとか、くだりはどっちとか。

     私の家の近所は男の子ばっかりで、私の連れは男の子ですねん。その連れと三人で木津川へ行くんです。男も女もあらへん、オコシ一枚ですわ。

     あるとき、富野の浜に帆かけ舟の帆をおさめてね、じっととまっている舟があったんやわ。お母さんらしい人がおいでおいでしたはる。「呼んだはるわ、行こう」言うて泳ぎましたわ。そしたらね「この子としばらく遊んだってくれへんか」言うて、「うん、遊んじゃるで」てなもんで、その子を連れて堤防の方へ行くと、キリギリスやらいっぱいいましたわ。しばらくしてから、キリギリスをマエカケに入れたのかなぁ、そして送ったんですわ。「よう遊んでくれたなぁ、この子は遊びとうてしょうがないけどお連れがないんや」

     下りの舟やったか荷物がいっぱい積んだあった。

     「しばらくあんたらもここらでいっぺん遊び」言わはってね。「オッチャンらどこで泊まるのん」て言うてたら、決まってますねて。どこの木のとこでは、誰が舟をとめて夜を明かすとか。お母さんが大きな土鍋で御飯炊いたはったわ。

     「どこで寝るのん」て聞いたら「ここで寝るのん」「へぇ、こんなとこで寝てたら蚊やら来るやろ」て子供心にそんなやりとりがあったんですわ。舟の中は底へトントンと二つほど階段があって降りていったら板の間があって、畳にしたら二畳もあらへんな。「夏は涼しいで」て言うてね。

     お母さんが「日も暮れるし帰り」て。粟おこしの割れたのを新聞紙に包んで三人にくれはった。「いつ頃になったらまたここへ泊るさかい。ここは私の舟着き場やさかいに、また来てや」言うから、「うん、その時分また来るわ」と言うたんです。

     お茶やらカンビツ、柴を積んでた。御飯を炊かはる前にね、木津川の水でザァと洗うてね、コンロにかけはる。そこ私は覚えてんねん。男の子はそんなん眼中にないけどね。中が見とうてしょうがない。舟の底で寝やはるねん、富野の浜でね。富野のシャクヤクの根っことかカンゾウとか観音堂のハブ草・ナタ豆をその舟に積んで、薬種問屋さんへ運ぶんです。枇杷庄の梨なんかも大阪へ箱ばはった。

     オッチャンの顔はホテイサンみたいで、ヤヤ(赤ん坊)入ってるみたいに大きなおなかしとったで。そんでマワシ一つやったわ。お母さんは赤いオコシに袖なしジンベエで、子供は丸裸やった。里へ上がってキリギリス採りに行くときは、その子供にジンベエ着せはった。

     約束した日に行くんですけど、来てはらへん。それでも粟おこしのかけらがほしかったさかいにね。うちのおばあちゃんがね、「粟おこしもろて、おおきにではいかんねん。何かあげるもんはないか」言うて、キュウリとかナスビとかのドブヅケ(浅漬け)を「これ持っていってあげ。そしたら食べてくれはるわ」言うてね。おばあさんも私らについてきて、手ぬぐいかぶってちょっと高い所で見てはったわ。昔はいっぱい漬けてあったさかい。それをもっていったら喜んですぐに木津川の水で洗うて食べはったわ。

     夜はカンテラなんかでともしてはったわ。風がないときは川の真ん中で止まってはった。風が出てくると「追い風や、お前ら、出ぇ、出ぇ」とオッチャンに言われましたわ。で、舟が見えんようになるまで見送ってましたな。帆に印が書いてましたで。

     私らが遊ぶのは暑い時分だけでっしゃろ。そんな思い出があります。

    お問い合わせ

    城陽市役所教育委員会事務局 歴史民俗資料館

    電話: 0774-55-7611

    ファックス: 0774-55-7612

    電話番号のかけ間違いにご注意ください!

    お問い合わせフォーム