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民話・昔話 帆かけ舟の一家

[2006年7月28日]

ID:1615

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帆かけ舟の一家

木津川は今のような水量ではなしに、右岸から左岸まで水がナムナムとあったんです。帆かけ舟がよう衝突しはってね、ルールはあったんでっしゃろ。のぼりはどっちとか、くだりはどっちとか。

私の家の近所は男の子ばっかりで、私の連れは男の子ですねん。その連れと三人で木津川へ行くんです。男も女もあらへん、オコシ一枚ですわ。

あるとき、富野の浜に帆かけ舟の帆をおさめてね、じっととまっている舟があったんやわ。お母さんらしい人がおいでおいでしたはる。「呼んだはるわ、行こう」言うて泳ぎましたわ。そしたらね「この子としばらく遊んだってくれへんか」言うて、「うん、遊んじゃるで」てなもんで、その子を連れて堤防の方へ行くと、キリギリスやらいっぱいいましたわ。しばらくしてから、キリギリスをマエカケに入れたのかなぁ、そして送ったんですわ。「よう遊んでくれたなぁ、この子は遊びとうてしょうがないけどお連れがないんや」

下りの舟やったか、荷物がいっぱい積んであった。
「しばらくあんたらもここらでいっぺん遊び」言わはってね「オッチャンらどこで泊まるのん」て言うたら、決まってますねて。どこの木のとこでは、だれが舟をとめて夜を明かすとか。お母さんが大きな土鍋で御飯炊いたはったわ。

「どこで寝るのん」て聞いたら「ここで寝るのん」「へぇ、こんなとこで寝てたら蚊やら来るやろ」て子供心にそんなやりとりがあったんですわ。舟の中は底へトントンと二つほど階段があって、降りていったら板の間があって、畳にしたら二畳もあらへんな。「夏は涼しいで」ていうてね。

お母さんが、「日も暮れるし帰り」て。栗おこしの割れたのを新聞紙に包んで三人にくれはった。「いつ頃になったらまたここへ泊まるさかい。ここは私の舟着き場やさかいに、また来てや」言うから「うん、その時分また来るわ」と言うたんです。

お茶やらカンビツ、柴を積んでた。御飯を炊かはる前にね、木津川の水でザァと洗うてね、コンロにかけはる。そこ私は覚えてんねん。男の子はそんなん眼中にないけどね。中が見とうてしょうがない。舟の底で寝やはるねん、富野の浜でね。富野のシャクヤクの根っことかカンゾウとか観音堂のハブ草・ナタ豆をその舟に積んで、薬種問屋さんへ運ぶんです。枇杷庄の梨なんかも大阪へ運ばはった。

オッチャンの顔はホテイサン見たいで、ヤヤ(赤ん坊)入ってるみたいに大きなおなかしとったで。そんでマワシ一つやったわ。お母さんは赤いオコシに袖なしジンベエで、子どもは丸裸やった。里へ上がってキリギリス採りに行くときは、その子どもにジンベエ着せはった。

約束した日に行くんですけど、来てはらへん。栗おこしのかけらがほしかったさかいにね。うちのおばあちゃんがね、「栗おこしもろて、おおきにではいかんねん。何かあげるもんはないか」言うて、キュウリとかナスビとかのドブヅケ(浅漬け)を「これ持っていってあげ。そしたら食べてくれはるわ」言うてね。おばあさんも私らについてきて、手ぬぐいかぶってちょっと高い所で見てはったわ。昔はいっぱい漬けてあったさかい。それを持っていったら喜んですぐに木津川の水で洗うて食べはったわ。

夜はカンテラなんかでともしたはったわ。風がないときは川の真ん中で止まってはった。風が出てくると「追い風や、おまえら、出ぇ、出ぇ」とオッチャンに言われましたわ。で、舟が見えんようになるまで見送ってましたな。帆に印が書いてましたで。
私らが遊ぶのは暑い時分だけでっしゃろ。そんな思い出があります。

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